大自然の小さなやまめ小屋

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<<   作成日時 : 2011/03/16 11:48   >>

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始めに、今回の東日本大震災により甚大な被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。




そして現在ブログ休止中ですが、どうしてもこの大災害を記録に残しておかなければと思いたち書く事にしました。




2011年3月11日 14:46分
東北太平洋沿岸から関東太平洋沿岸にかけて “マグニチュード 9” という大地震が起き、その直後、想像を絶する大津波が太平洋沿岸の広い地域を襲った。
その大津波は一瞬のうちにそこに住む人々の財産、思い出、絆、全てをのみ込み、多くの尊い命さえ容赦なく奪った。 その被害は世界的規模でも類を見ない大災害だという事は誰の目にも明白だった。


私はこの災害の事を日記としてここに記録として残すかどうかを正直悩んだ。 それは今現在被害に見舞われた方々が苦痛の避難生活を強いられている状況下にあり、最小限の被害で済んだ(被害と呼べる程のものでは無い)私が住む盛岡市でも顕著に生活物資が不足し、一見冷静を装ったかの様に見える人々の足並みにもやはりどこか動揺を隠し切れない不穏な空気を感じ取れたからだ。


災害から四つ夜を数えた今日(3月15日)になり、この災害を記録せずして、ここに書いてある日記そのもの全てが無意味でただの文字の羅列になってしまう様な気持ちになりキーボードを打つ事にした。 


但しここから先はあくまでも私の “日記” である為、これ、と言ったメッセージがある訳でも無いし、情報が有るわけでも無い。 なので私以外の方に取ってはなんの意味も無い文字が並んでいるだけとして捉えて頂きたい、もしかしたら私の表現方法や発言はこの先を読んだ方の捉え方次第では不快感を抱く方も居るかもしれませんのでその点はご留意下さい。



3月11日(金曜日)
この日、急な仕事が入り私は青森県八戸市に出向き、八戸港を望む高台にある展望施設の東屋の下で看板の表示面に誘導サインシートの貼り付け作業を行なっていた。 この時期特有の海風の冷たさを感じたものの然程強い風も無く、どちらかと言えば穏やかな気候だと言える日だったと思う。 作業も順調に進み、同居した取引先のSさんと二人で冗談交じりの会話をしながら手を動かしていた。 


14:46分・・・。 (時間はその後の情報にて知る)


ゴォー・・・。 っという地下鉄のホームに電車が入って来る様な地響きと共に地面が揺れた。 四本の柱に支えられた東屋の屋根が弧を描くように大きく揺れ、その揺れ方は尋常なものでは無かった。 偶然居合わせた場所が八戸市の気象観測所と隣接した施設だった為、すぐさま地震を知らせる警報と津波を警戒するアナウンスが耳を裂く様な音量で放送された。
ここの高台は地域住民の方々の避難場所に指定されている様だった、実際の所、私の感想は避難場所としてはここまで辿る道路は車同士がすれ違うのも間々ならないほど狭く、駐車場も20台も止めれるだろうか? いささか避難場所にしては不便だなと感じたがその場所に続々と近隣の方々が集まってきた、その中にはテレビカメラを背負った放送クルーの方も混じっていた。 
いま思えば、この時の私は完全なる “平和ボケの象徴そのもの” だった。 確かに大きな地震だと感じたが、それ以上の危機感がまったく湧き起こってこなかった。 その要因はもしかしたら地震の揺れを屋内で無く、屋外で感じて居たからかもしれないと今になって思っている、多分建物の中だったら家具や照明や周囲の見慣れた物品の揺れ(破損、崩壊)で地震の威力を増幅して感じた事だろう。 そして然程危機感も無いまま仕事を終えて、避難所に向かう住民の方々とは逆行する形で自動車で移動する事になった。 細い路地から二車線の道路に出た時、自分の想像よりも大事態だと気付く事になる、円滑に交通障害をなくする筈の全ての信号機が停電の為、その三色の明かりを灯していなかった。 大渋滞に巻き込まれながらも一件、所用を済まし盛岡へと帰路に着くが車内ラジオから流れる情報は私達二人が想像する以上の災害に見舞われている様だった。 つい30分前に渡ったばかりの八戸大橋?が津波の影響で通行不可との情報がラジオから聞こえて来た時は同車しているSさんと顔を向け合い驚きを隠せなかった、“間一髪” と言うには30分後という時間はいささか余裕があるのかもしれないが、その時点ではまさしく “間一髪” だと思った。 次に困った情報がラジオから聞こえた。 東北自動車道全線がこの地震の影響により全面通行止めと報じられた。 この時、あらためて事の重大さを再認識する。地震の震源地は宮城県沖との事で岩手県、宮城県、福島県、を中心に広い範囲で震度5〜6との事だった。
その情報を聞き、初めて私の顔から血の気が引くのを感じた、家族の安否が無性に気になりだしたからだった、妻と娘の携帯電話に通話してみるが、予想通り通じなかった。 以前起きた、宮城岩手内陸地震の際も何故かドコモの携帯電話だけが通じなかった事を思い出した。 だが、今回一緒のSさんが持つ auとウィルコムの二つの携帯電話も通じなかった。 しかもウィルコムに関しては何故か八戸市内に居るにも拘らず電波の受信状況を表す三本のアンテナマークさえ表示されず、圏外を示していた。 私は自分(ドコモ)の携帯電話が通じなかった事に “やっぱり” っとの思いが立ち込めたが、駄目もとで妻と娘の携帯にメールを入れてみた、するとメールは送信完了のOKが表示されたが果たして本当に届くのだろうか?届いたとししてもリアルタイムで届くだろうか?っと疑問符つきだったが、すぐさまメール着信を知らせるバイブが揺れた。 そのメールは娘からだった、その内容は一言 「大丈夫だよ」 っと書かれていた。 そしてそのすぐさま、またメール着信のバイブが揺れた、今度は妻からだった、仕事中に停電になり仕事が出来なくなった為、自分の自動車の中で待機中だと書いてあった。 どうやら盛岡市内もかなり広い範囲で停電のようだ。 いずれにせよ家族と連絡が取れ、無事を確認した事に安堵した。 そしてすぐさま私のヘッドライト、乾電池、無線機、ランタン等の有る場所を知らせ、暗くならない内に準備をする様に伝えた。 水道とガスは無事使えるとの事だったが念のため、溜めれる全ての容器に水を確保させた。 
Sさんのauからのメール送信は送信拒否さて送れなかった為、私の携帯から代わって安否確認の旨をSさんの奥さん宛に送ったが、なかなか返事が戻ってこなかった。 のちに私が送ったメールを受信確認できたのが送ってから3〜4時間後だった事を知らされた。 ちなみにSさんの奥さんが持っている携帯はソフトバンクと聞いた。 ただこの後、Sさんの持つauはタイミングにもよるが電話が通じるようになった、依然として私の持つドコモは何処にかけても電話は通じなかったがメールだけは送信できた。 一体このメーカーの違いで、通じる、通じない、が生じるのは何故なのだろう?っと思った、なぜこの緊急事態の時にと。
高速道が閉鎖の為、街灯や民家の明かりがまったく灯らない真っ暗な一般道を盛岡に向けて南下した、幸いに八戸市内を抜けて軽米方面へ向かう県道はこの地震の影響もあってか道路は空いていて高速道を走るのと変らない速度で走る事が出来た、変らない速度といっても70km前後の速度だったが道路が狭く、真っ暗だった為その様に感じたのかもしれない。
軽米から二戸へ抜け、国道4号線にでて岩手町付近までくるとさすがに渋滞に嵌った。 国道4号線は一本道だから仕方が無かった。 渋民付近まで渋滞に苛まれやっと裏道から四十四田ダムの脇を抜けて盛岡市内に入ることが出来た。 盛岡市内に入るとさすがに灯りが無く、真っ暗だったが、その中で県庁、盛岡市役所、岩手県警、岩手日報社、テレビ岩手、東北電力の建物だけに煌々とした灯りがともっていた。 高速道を走れば1時間30分ほどの道のりだが、さすがに今回は6時間以上の時間をかけて帰って来た。 それでも6時間で帰ってこ来れたのも、もしかしたら “あの30分” の差が命運を分けたのかもしれない。 

やっと家に帰って来ることが出来た、部屋に入るとロウソクの灯りで過ごしていたらしく、部屋の中はうす暗かった、子供達三人は何もやる事が無い為か、すでに布団の中に潜り込み寝ていた、そして懐中電灯を片手に妻が夕食の仕度をしてくれた。 今はラジオから聞こえる放送だけが唯一の情報源だった。 そのラジオに耳を傾けながらこれから必要になるだろう、っと思われる物を準備した。

乾電池はかなりの数の予備があった。 もともと私は乾電池は充電式の物を多く使用している、それだけ登山やアウトドアで使う頻度が多いから自然と充電式の乾電池が多くなっていた。普通の乾電池もそこそこ有ったので電池は十分にある。 携帯電話への充電もいつも山に持って歩いている携帯式の乾電池から充電できる物が二つあった為、携帯電話のバッテリー切れの心配も無く使うことができた。 ロウソクでは今ひとつ暗さを感じたので山小屋で使う電池式のランタンの灯りを点けたがすぐにツーマントルのランタンが有る事を思い出した。 ホワイトガソリンも残っていたし、電池式のランタンと比べ、さすがにツーマントルの明かりは比べ物に成らぬほど明るかった、ただ一つ心配だったのが今も続くこの余震だった、余震でツーマントルのガソリンに間違っても引火しない様に頑丈にロープに括りぶら下げた。 これで部屋の明かりは十分に確保できた。 そして幸か不幸か、実は昨年の暮れに我が家の暖房が壊れてしまっていた、我が家の暖房はボイラーから送られる全室パネルヒーターだった為、ボイラーが壊れた時点で全室の暖房が使えなくなってしまった。 この時、普通ならボイラーを直すのが一般的な考えなのだろうが、何故か私はボイラーを直す気にならず、電気屋さんでファンヒーターを買って来た。 何故かと言うと、子供が小さい頃はパネルヒーターは直接火を使わず空気を暖める方式なので、小さな子供が居ても火傷の心配が無く空気も綺麗だと言うことで、とても重宝したが、今は子供達も大きくなり火傷の心配も無くなったので暖房はボイラーよりはファンヒーターの方が灯油代も安価に済むと思ったからだった。 そしてもう一つ、昔使っていた反射式のストーブを自分の部屋用にと実家から持ち帰っていた。 正直、反射式ストーブはとても便利なものだと思う、私は今の時期、お湯を沸かすのはこのストーブに上にヤカンを置いて沸かす、ちょっとお腹が空くと、アルミホイルを敷いてその上でパンを焼く、しかも時にはカレーをストーブの上で煮込んだりする。 停電中でもその暖かさが変らないこの古い反射式ストーブが今回の災害で一番の活躍だったかもしれない。

我が家の被害と言えば、停電と食器棚の中に入れてあった食器が壊れただけで済んだので、被害にあったとは言えないが停電も二日目の夜となり、いまだ情報源はラジオ放送のみだった。 IBC(岩手放送)ラジオからは聞き馴染みのある数名のアナウンサーの声が交替で地震発生時から休む事無く24時間聞こえてくる。 放送局関係者全員が休憩と仮眠を取りながらも自宅に帰る事もせずに、その情報を報じ続けていると思うと、頭が下がる思いだった。

食事は冷蔵庫に有るもので十分に賄えた。 普段冷蔵庫の中などあまり気にも止めないがこの時ばかりは気になった。 実際に開けてみると冷凍したお餅が沢山あった、肉や魚もある、ガスが使えるのでごはんも炊ければ、みそ汁だって作れる、正直なんの不自由も無い。普段の生活との違いはテレビが見れない事とスイッチを押しても電気が点かないだけの様な気がしてきた、こんな考えは避難生活を強いられている方々の事を思えば不謹慎だとの思いも有るが実際のところ、山小屋に居るのと同じ事だと感じた、山小屋に二泊、三泊するのとなんら変りない様に思えた。 ラジオから聞こえる悲惨な災害地域とはまったく別の遠い場所に居るのだろうか?っと、錯覚さえ感じる。 災害から二日目の夜は電気が点かないとはいえ、子供達はランタンの下で本を読み、自由帳に絵を書く姿になぜか違和感さえ覚える夜となった。







3月13日(日曜日)
午前11時頃、電気が通電した。 電気が使えると思うと、ホッっとした安心感が家の中に漂い子供達の表情も明るくなった。 この時、電気の有り難味をこの停電に関わった人であれば誰もが感じたことだろう。 通電後一番にお風呂に入りたいと思った、度重なる余震と、いつこの停電から開放されるのだろうか?っという緊張から、しらずしらずのうちに体が緊張し硬直していたからかもしれない。 そして停電が復旧すると情報源はラジオからテレビへと移った。 そしてテレビに映し出された映像に途轍もない衝撃を受ける事になる。 いままでラジオから聞いていた情報で “悲惨・壊滅的・自然の猛威・崩壊・惨事・等などこれ以上並べる言葉が無いと思われるほど最悪の状況を表現する単語を聴いていたはずだったが、私の目の前に映し出されたその景色はそれを遥かに上まわった光景だった。 
しかも、その映像は二日も前に起きた惨事である事にいまさらながら驚きと悲痛の思いで胸が絞めつけられた。 ブラウン管には聞き覚えのある地名が字幕で映し出されているが、その地名と私の中の記憶がまったく合致しない。 そこに映し出された映像は遥か遠い土地の出来事に思えてならなかった。 正直なところ、何故、ここまで悲惨なことに・・・・。 っと感じた。
このブラウン管越しに目に写る風景を現実と受け止めるのは余りにも酷なことだと思った。


3月14日(月曜日)
いまだ断続的に余震が続く、そんな折、近くのスーパーマーケットまで歩いて行ってみた、スーパーの中は多くの人々で混雑していた、レジカートに積み上げられたトイレットペーパーやテッシュ、当然食料品をコレでもか、っと満載し押す人たちの姿が異常に目立ってみえた。予想通り、全ての品が不足気味で商品棚はどこもガラガラと隙間だらけだった、それでも皆誰もが必要な物を買い求める景色が広がっている。 特に非常食と呼ばれる日持ちする食品、カップ麺、インスタントラーメン、缶詰等が置かれた商品棚は綺麗さっぱりと全ての品が無くなっている。 そのガランとした何も置かれていない商品棚を目にして、もしかしたらこれが空洞化して、うわべだけ着飾ったまったく中身の伴わない先進国日本の現実の姿だと思えてならなかった。

今現在、避難生活を余儀なくされている被災者の方々に比べればまったく不自由無い生活を送っているが、一つだけ困っているのがガゾリンを給油出来ない事だ、どこのスタンドも売り切れで次にいつ給油車が来るか解らないとの事だし、唯一ガゾリンが残っているスタンドはどこも緊急車輌(官庁車両)以外の給油は出来ないと断られる。 本当にこんな事で良いのだろうか? 今回の大津波は自然がもたらした大きな災害だが、このあと側近に人的経済災害の大津波が音を立てて近づいて来てるような気がしてならない、もしかしたらすでに私達の足元は気付かぬうちに目に見えない津波の流水で流されかけているのではないだろうか。 
実際のところ、人的経済災害の方が、今回の東日本大震災よりもかなり大きな破壊力をもって大きな被害をもたらす事になりかねないのでは・・・。



現在、救助に係わる多くの方々があらゆる手段をもちいて被災者の方の救出に最大限の努力をしている、救出活動を行なっている方々には本当に、本当に、頑張って頂き、一人でも多くの方を助けていただきたいと切に願う。



そして避難所での生活を余儀無くされ、肉親の安否も解らぬまま絶望と不安に苛まれている多くの方々に、何とか生きる希望と生きる力を失わずに頑張って頂きたい。
パソコンの前でこうしてキーボードを打っている私がどんな言葉を連ねても、安易な励ましの言葉にしか聞こえないかもしれないが、本当に頑張って頂きたい。




3月15日(火曜日)
今現在も余震は続いている。
不安な夜がまだまだ続くがそんな時こそ、声大きく叫ぼう!


頑張れ宮古! 頑張れ山田! 頑張れ大槌! 頑張れ釜石! 頑張れ大船渡! 頑張れ陸前高田! 頑張れ気仙沼! 頑張れ岩手! 頑張れ宮城! 頑張れ福島! 頑張れ東北! 頑張れ日本! 



っと、心から・・・・。




そして今回この災害により失った尊い命・・・。

メディアによると10000人を超える人数になると伝えられている。

亡くなった方々の尊い命を私達は決して忘れてはならない。

けっして・・・・。





最後に今回の東日本大震災により被害を受けた多くの方々に、

心からのお見舞いとご冥福をお祈り申し上げます。





3月16日(水曜日)
断続的な余震は今なお続く。
今朝は昨夜降った雪が薄らと積もっている、気温もかなり低くなったようだ、被災地は沿岸なので内陸よりは幾分暖かいとはいえ、広い体育館などで避難されてる方々にとっては底冷えする寒さだったと思う。 少しでも暖かい気候が続いて欲しいと願うばかりだ。

買い物をしにスーパーマーケットへ出かけたが、スーパーの店中は節電の為に落とされた照明が外から見ると営業しているのか、どうかも解らないほど暗い店内だった。相変わらず物流はこちらには届かないようでガラガラの商品棚が目立つ。その中で、なぜか精肉の棚には豊富に牛肉、豚肉、鶏肉が並べられ、冷凍食品の棚にも冷凍された魚介類が多くみられた。 食料が不足していると言ってもこれだけの食材が並ぶ背景には近年の冷凍保存技術が優れている点が伺い知れる。ただ、さすがに野菜が無い。 果物系はそこそこ有るのだが、野菜は全くと言って良いほど無かった。 残っていたのはじゃがいもが残りわずか。 工場栽培のキノコはそこそこ有るが、値段がいつもの1.5倍位で売られていた。 この品不足はいつまで続くのだろう。 それでも3日前に比べれば買い物をすつ人々の姿はすいぶん落ち着きを見せていた。



3月17日(木曜日)
今日も余震は続く、いまだ一向に納まる気配が無い。 私の自宅近くには歩いて5分圏内、二ヶ所に大型スーパーマーケットがある、今日も特に何が欲しい訳では無かったが覗いてみた。
店内は開店と同時に駆けつけた人達だろうか?買い物客でそこそこ混雑していた。 感じたのは昨日に比べ確実に商品が多くなったと思った。 肉・魚・も十分に有るし、昨日と違いキャベツなどの野菜も山積みされている。 その中にはお彼岸の供え物の果物の詰め合せまで売られていた。 私は店内を見回しワゴンに載せてあったコッペパンに目が止まった。 思えば災害の日依頼パンを食べた記憶が無かった、正直、パンを食べなければ生きていけない訳ではないが、久しぶりに目にするとなんの変哲も無いコッペパンが無性に食べたくなった。 ワゴンに載せられた貼り紙には一個105円と書かれてあり、(お一人様何個まで)っと言う個数制限は書かれていなかった。 私はコッペパンを五つカゴに入れた。 コッペパンの袋には 「頑張ろう!岩手!」っと書かれたラベルが貼られていた。 

ふっと・・。 このワゴンに山積みされたコッペパンを見て、これだけの量の、いや、これ以上の量のコッペパンが被災地にも届けられているのだろうか?っと、疑問が浮んだ、メディアでは被災地以外の場所で買い溜めによる品不足が生じてると報じているが、しかし被災地に一番近いはずの主要都市盛岡市は今日のスーパーの店内を見る限り食べ物に関してはなんの不自由も無い、お惣菜コーナーの陳列台の上には “から揚げ・コロッケ・焼き鳥・サラダ” など等食欲をそそる匂いを漂わせ沢山並べられている。 “変だ・・・。 何かが変だ・・・・。” ここ盛岡市内から1時間30分〜2時間前後走った所には空腹と寒さに耐えながら避難生活をしている方々が大勢居るというのに。 しかし、この食料を届けるにしても車にガソリンを入れる事も出来ないのも現実だ。



呆れた。 いや、呆れたを通り越して怒りさえ覚えた。

何故かというと、なんと自宅近くのP店が営業をしていた。 私も以前はPを楽しんだ事もあるし、Pの楽しさも分かるが、寄りによってこんな時に・・・・。 っと、違和感を感じるのは私だけだろうか? P店も商売だから、店を開けるな!っとは言えないのも分かるが、私が驚いたのはP店の駐車場には休日を思わせる程、沢山の車が止まっていた事だった。 今、日本全国で被害地をみんなで支援しよう!っと、声をそろえ頑張っている時に、車(ガソリン)を使って足を運び、ギラギラと電気を使ってPとは・・・。 正直その光景を見たとき、絶望感とやりきれない気持ちでいっぱいになった。 

そこまで○○なのか? 岩手県人!
情けない・・・。 本当に情けない・・・・・・。 っと、感じた。




3月18日(金曜日)
あの悲惨な地震から丁度一週間がたった。今もなお余震は続いている。
地震災害・大津波の爪あとは今だ大きく拡大し、その破壊力は計り知れない。その中でも人間が作った物の中でもっとも有ってはならない物が脅威の牙をその人間に向けている、それは福島県の原子力発電所の事だが、その恐ろしさがドンドン増してきた。 目に見えない放射能は地元住民をどれほどまで恐怖と不安に陥れてるのか、きっと私が思ってるよりも遥かに想像を絶するものだろう。 そんな折、昨日、今日のメディアの放送を聴いていると避難・移転を希望する被災者の方々を受け入れてくれる地方都市が続々と名乗りを上げている、本当に凄い事だと感じた。 
そして、ふっと、我、岩手県の内陸に位置する市・町・村はど゙のように考え、どのような行動を起こすのだろうか?住まいを無くし、荒廃した土地が整備され復旧の目途が立つまで被災者の方々への居住空間をどのような形で支援するのだろうか?っと思った。 この事に関して私は不思議と物凄い期待感を抱かずにいられない。 是非、この私の期待を裏切らずにあって欲しいと各方面の行政には本当に願いたい。 しかし、そんな、こんな、偉そうに要望ばかり勝手に喋っている私は、実は被災者の方々に何の援助も、なんの役にもたっていない。 正直、何も出来ない自分がただの傍聴者に思えてきて、情けなくなってきた。




3月19日(土曜日)
悲惨な災害から一日、一日と日が遠のいて行く。 余震も昨日に比べ、その数が少なくなった気がする。 そしてこの災害の記憶も煙が青空に吸い込まれて行くように徐々に薄く消えていくのだろうか。 何事も無ければ春を待ち望む三連休の週末を向えていたことだろう、別れと新しい生活へのスタートに期待と不安が募る季節のはずなのに、今年は不安だけがどっしりとその存在感を誇示し圧し掛かってる様で北国の春はいつもの年よりもずっと、ずっと、遅い春になりそうだ。
今朝も空を飛ぶヘリコプターの音が聞こえる、岩手山麓にある陸上自衛隊が救助、支援活動の拠点になっているのだう、災害以来、毎朝7時頃から上空を東の空に飛んで行く。 警察、消防、自衛隊の方々の苦労と疲労は計り知れないが、なんとか頑張って頂きたい、その活動が被災者の方々にとって何よりも心強く感じてると思う。 
私は休日の朝となった、休日といえば聞こえはいいが、正直仕事が極端に薄いのが現実でもある。 昨夜から今日は一人、南昌山に登ろうと決めていた。  このやりきれない思いを体を動かして発散したかった。  必要最低限の装備をザックに詰め込み、自転車のカゴにはスノーシューとストックを入れた。 私の自宅から南昌山の登山口となる矢巾温泉まではどれ位の時間がかかるのか、実際のところ解らなかった、たぶん1時間前後だろうと予想した。
矢巾温泉までの道のりは永遠と続く登り坂だった、自動車で走れば大した距離でも無い様に思っていたこの道もさすがに自転車だと遠かったし登り坂が思っていたよりもキツかった。 でも、私の自宅から自転車で行ける山となると志和三山方面が一番最初に頭に浮んだ、それ以外はさすがに無理なように感じた。
矢巾温泉の「ぬさがけの滝」まで約50分かかった、ここまで来て、正直この滝から冬期閉鎖された道路を五合目まで歩き、更に南昌山の頂上まで登ることを考えると躊躇いを感じずにはいられなかったが、登り始めた。 雪上をツボ足で歩けたがとても歩き難かった、五合目まで1時間30分かかった。更に南昌山頂上まで途中、道迷いもあって、約50分近くかかりやっと登った。
雪に埋もれてその姿を見ることが出来ない権現様に手を合わせた、じっと、目を瞑った。 展望台に上がって、東の空を見てまた目を瞑った。 そして、叫んだ! 思いっきり叫んだ! 東の空に思いっきり、思いっきり・・・。 

涙がでた。 ぽろぽろと涙がでた・・・。   

そしてまた思いっきり叫んだ!   

ガンバレと・・・。  みんなガンバレと・・・。 そして自分もガンバレと・・・・。





3月20日(日曜日)
悲惨な災害からまだ日も浅い。被災地では今尚不便な生活を強いられてる大勢の方々がいる、災害から今日までの数日、被災者の方々の心境に変化はあるのだろうか、あるとすればどのように変ったのだろう。 被災時の恐怖といたたまれ無い思いから少しでも開放されたのだろうか、出来る事ならそうあって欲しい。 私は昨日、南昌山に登り山頂にて大声を出したおかげか、幾分気分が和らいだ気がする。 心のモヤモヤが晴れた訳では無いにしろ、やはり自然の中に身をゆだねる事が私にとって一番の癒しになる様だ。
そして今日、私は盛岡市内を一人散策してみた。 盛岡に生まれ育ち長い事この町で暮らしているが、じっくりとこの町並みを歩いた事が無い様な気がする。 当てもなしに盛岡城跡に自転車を止めて歩いた。 ここ盛岡は城下町だ、城跡を中心にその風情は色濃く残っている。
お堀には鯉が泳ぎ、水鳥が水面に浮ぶ、早春をつげるマンサクの花も咲いている。 市内地のど真ん中だというのに綺麗な清水が湧きでている、その清水をすくい飲むことも出来た、お堀の脇にある文化財のお堂には大きな鐘が吊られている、とても綺麗な町だといまさらながら感じた。 そう思えるのも生まれ育った、ふるさとの町並みがあってこそ感じる事が出来るのだと今回の災害を通じて教えられた気がしてならない。



そして私はこの町を歩いて、今日も涙が浮んだ。 ただ、今日の涙は悲しい涙ではない、嬉しかったから出た涙だった。  市内中心地を歩いてみると、髪を金色に染めた若い男性が火箸とビニール袋を手に一人でゴミを拾っている、なぜにこの男性はゴミを拾っているのか分からないが、かなりの広範囲に渡りゴミを拾い集めていた。 その光景に何となく心が和んだ、そして更に中心地へと歩いて行くと、あらゆる場所で今回の災害へ支援を募る募金活動が行なわれていた。 その活動を見てとても嬉しくなった、みんな頑張ってる! 若い人たちが中心に募金を呼びかけて、皆それぞれ出来る事を考え、頑張ってる姿に、とても嬉しくなり目頭が熱くなった。 本当に、本当に嬉しかった。



私は今回の大惨事 “東日本大震災” のことを日記に残すのを今日で最後にしたいと思う。 その訳は自分はやはり被災地の近くに住んでいただけで被災者ではない。多少の不便な生活を強いられてはいるがこの事は今、日本全国どこも同じ事だとおもった、多くの日本人がこの災害により心を痛めているに違いない、そう考えるとこれ以上ここに日記を残す事は私自身の思いと考え方に偽りの念が生じてくる恐れがある様な気がしたからだ。 私の日記がたくさんの方々とのコミュニケーションの場になるとは想像もしていなかったが、そのことが嬉しくもあり、また違和感を覚えることも正直あった、なのでこれ以上、今回の災害の日記は書かないことにする。
ただ、今後この惨事に置いて、自分の心が揺さぶられる様な出来事、やり場の無い怒り、悲痛な思い、それとこの上ない喜びなどを感じた時はまたここに書き綴るだろう。




そして多くの被災者の方々には深心よりお見舞い申し上げます。 また、この惨事において失われた尊い命に悲痛の念を悟り、心からご冥福をお祈り申し上げます。



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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
関東にて気をもむばかり、無力感に苛まれています。
s
2011/03/16 17:02
Sさん
大丈夫! こっちで何かあれば私が即対応しますからご安心下さい。
まずは健康第一です。災害、災難、必ず修まりますよ。
やまめ
2011/03/16 17:24
はじめまして、弘前に住む山登りおばさんです。
地震後、山ブログから情報を得ようと、毎日のぞいていました。
やまめさんなら絶対書いてくれるだろうと・・・
詳しい情報ありがとうございました。
当地もガソリン不足とパン、牛乳、納豆等は食品棚がガラガラですが、被災地に比べたらたいしたことありません。
お互い節電に努めましょうね。車もなるべく使わず歩こうと思っています。
ゆらのすけ
2011/03/17 19:04
やまめさんのブログが再開できたことが何より嬉しいです。三石の下山でご一緒した者です。あれ以来「大自然の小さなやまめ小屋」の大ファンです。本日のP店のご意見同感です。夕方職場から帰るとき駐車場の車に私も驚きました。そして腹がたちました。沿岸に住んでいる肉親が津波にのまれ週末は火葬です。憤りを感じながら勢いで初めてコメントいたしました。このような気持ちを初夏の三石はきっと癒してくれると信じています。
akikoma
2011/03/17 20:15
ゆらのすけさん
はじめまして、本当ですね、パンや乳製品、納豆等の棚はこちらもガラガラです。
普段、よく口にする食べ物ですから本当に無いと困りますが、まだまだそんな贅沢は言えませんね。 食べ物もそうですが、私にとって、登山口まで行くガソリンが無い事が悩みの種ですが、これも仕方ありません。 体力が落ちない様に、近所をランニングでもして汗を流したいと思っていました。 メッセージありがとうございました。
やまめ
2011/03/18 14:54
akikomaさん
こんにちは、三ツ石の下山でご一緒した方ですねか? タケノコの時期にご一緒した方かな?もしも間違っていたらごめんなさい。
本当に昨日のP店は憤りを感じました、残念でしかたありませんし、支援してくれる多くの県外の方々に申し訳ない気持ちです。 

初夏の三ツ石山を含め、きっと、きっと、お山は心の傷を癒してくれると思います。 あの清々し景色と可憐な花々、綺麗な空気を胸いっぱいに吸いに登りましょうね。 
「大自然の小さなやまめ小屋」にいつも立ち寄って頂きありがとうございます。
完全復帰はまだ、まだ、少し先になりそうですが、その時はまた遊びに来て下さいね。 よろしくお願いします。 
やまめ
2011/03/18 15:05
水曜日、我が家に家族が増えました。宮古で家を流され、避難所を転々としたあと、当ても無く東京に出ようとしていた友人。「俺のいた避難所、すっげ〜〜よくってさ、ウォシュレットあったんだ。俺、4日風呂入ってなくてきたねーけど、ケツだけはキレイだよ〜〜」・・・・・・って、笑って言ってたけど、どんな思いでいたんだろう、ってグッときました。取り壊しされるらしいという自宅に両親の遺影を取りに戻りたいんだけれどガソリンがない、、、、50近い独身男、これからどうするの?なんて聞けないです。なんとか生きてくしかないんです。

ボケボケの生活に気付かされた一週間、盛岡の私たちは被災者なんて言えないけれど、身近で聴くことができるこの悲惨な話を絶対に忘れちゃいけないとおもいます。

やまめさん、記録、ありがとう。

(余談)地震後、職場が暖房ナシになって、スニーカーやオシャレブーツは寒いし、、、、登山靴と登山靴下、大活躍ですよヽ(^o^)丿
min
2011/03/19 15:28
minさん
こんにちは、新しいご家族の話とても辛いですね。 言葉で言うのは簡単だけど、頑張って欲しいです。 ガゾリンが無くて遺影を取りに戻れないなんて・・・、あまりにも悲しすぎます。 そんな切ない思いをしてる方々が沢山、沢山、いると思うとほんと辛いです、何を優先しての支援なんだろう?っと感じます。

登山靴、登山靴下大活躍ですね、次は岩手山の登る時に活躍させて下さいね!
やまめ
2011/03/19 18:07
想像を絶する被害ですね。でも無事で何よりでした。
長田ドーム
2011/03/19 21:25
長田ドームさん
おはようございます。 幸い、私の所は被害と呼べるほどの事もなく無事でしたが、聞き馴染んだ土地がこの様な災害に見舞われてしまい本当に残念でなりません。

被災者の方々の心が早く癒される日がくる事を願ってなりません。
やまめ
2011/03/20 10:03
大震災に対する特別の思いを特集でお伝えくださりありがとうございます。
「ぬさがけの滝」から登山口までの道端に蕗のとうが春を告げる時期ですね。
身内の大震災葬儀で昨日千厩火葬場に行って来ました。待合室で声の掛けようがなく、はじめて言葉は無力と感じました。
生きてきて、このような辛いことに直面すると誰もが想像しなかったことでしょう。しかし、人間には計り知れない知恵と力があることを信じています。
「大自然の小さなやまめ小屋」から沢山のパワーをいただきました。山日記の写真に癒され元気をいただいております。
また余裕ができましたら、ぜひブログが再開されますことを楽しみに致しております。
akikoma
2011/03/20 22:38
akikomaさん
辛い週末でしたね、お身内の方のご不幸お悔やみ申し上げます。

この時期に南昌山付近のふきのとうの事を分かっているとは、akikomaさんもなかなかの通ですね。確かに五合目までの道路脇には美味しそうなふきのとうの蕾が沢山有りましたよ。 私はふきのとうを食べる習慣が無いので採って来ませんでしたが春を告げる香りを楽しんで来ました。

「大自然の小さなやまめ小屋」は時期をみて再開したいと思っていますが、今のところいつ頃になるのか、まだ解りませんが、再開した時にはまた遊びに来て下さいね、宜しくお願いします。
やまめ
2011/03/21 15:44
会社が潰れた時、岩手山で叫んだね。今はその何十倍も何百倍も叫んでも叫びきれないね。

s
2011/03/22 09:59
sさん
こんにちは、会社が潰れたとき、岩手山に登りましたね、今思えばあの時の山登りが今の私の山登りの切っ掛けになっているのかもしれませんね。 今回の災害は悲惨という言葉しか出てきませんが、出来るだけ早く被害に遭われた方々が平穏に暮らせる日が来ることを願うばかりです。

いい時期がきたら一緒に山登りしましょうね!
やまめ
2011/03/22 11:23
秋田県能代市の でら です。大変ご無沙汰しておりました。
この度はいたましい震災の不幸中の幸いともうしますか、やまめさんファミリーご無事でまずは安心いたしました。

ブログも拝見させていただきました。
何と八戸沿岸部にいたとは…



当局の小出しな情報のなか、とうとう水の情報まででてきました。
これからどんなふうになるのかまったく想像がつきません。
何もしないのがいいのか何も出来ないのですが。

能代市からも姉妹都市の大船渡市へ災害援助隊が、今日も14名応援に行っております。
先日第1隊の報告会にも行ってまいりました。
来週もしかしたらうちらのネット活動をしている仲間も行くことになるそうです。
消耗戦になりそうな感もありますがここまできたらあわてずに山で鍛えた直感で生きて行くしかないようです。
わたくしどももこころではいつまでも繋がっております!
どうかお体に気をつけておすごしください。

PS昨年秋より、山活動から街活動にウェイトが移ってまいりましたが、ガソリンが確保できるようならまた山へも行きたいと思っております。
dela|mark として更新緩くなっていますがブログも。
dela | mark
URL
2011/03/24 02:44
dela!markさん
おはようございます。 こちらこそお久しぶりです。
能代市と大船渡市は姉妹都市との事、救援支援活動が活発に行われている事にとても心強く感じます、こういう時こそ姉妹都市としての本当の意味があるのに気付かされました。

こちらは至って無事に暮らすことが出来ています。
でらさんもお元気の様でなによりです。 また今年もお山でお会いしましょう。
やまめ
2011/03/24 08:42
こんにちわ!やまめさん

久しぶりに日記を拝見できほっとしてます。
(なんかぴーんときて、もしやと思い覗いてみました)

僕は親戚が野田村だったのでお見舞いに行ってきました。
あるべきものが”ない”という衝撃はテレビで見ている以上のものでした
被災した方々は懸命に生きてましたよ。
『ごはんと塩があればそんだけでもいい』と家が無くなったのに自立した
生活をしている人もいました。
彼らのことを意識しながら、自分に正直に日常生活を続けていけば
その思いはきっと伝わると思いますよ

僕はささやかながら自転車通勤を続けています
ちょっとした不便を受け入れないと
彼らの気持ちを理解できないのではと思うからです

震災前と全く変わらぬ生活を続けようとしている人々には
ちょっとした嫌悪感を覚えました。
変われないひともいますが、変われるチャンスでもあります
今回の震災をきっかけに少しでもよりよい社会に変わって行って欲しいものです
naga
2011/04/07 16:26
nagaさん
こんにちは、ご親戚の方ご無事でなによりでした、本当に良かったですね。
nagaさんのおっしゃる通りですね、被災地の方々のご苦労を思えば多少の事など、不便等とは言ってられませんね。 私もあの災害以来、自転車に乗ることが多くなりました、今までちょっとした距離でも自動車を使ってたと思うと“無駄だったな”っと感じます。

これからは被害が少なかった(無かった)私たちが元気に生活する事も復旧の第一歩だと思います。 今度は私たちが内陸から元気の大津波を沿岸へと送りましょう。
やまめ
2011/04/08 16:58
やまめさんご無事だったのですね。
よかったよかった。
岩手県の惨状を見るにつけ
どうされているかと心配しておりました。
節電にも慣れ、今までの生活がいかに贅沢過ぎて
いたかということが実感できる機会とはなりましたが
先が見えずに被災地で不自由な生活をされている
方々を思うと、胸が痛みます。
一日も早く東北のみなさまに笑顔が戻るよう
お祈りしています
海遊
2011/04/27 00:19
海遊さん
こんにちは、ご心配いただいきありがとうございます。幸いな事に私の住む内陸は被害が無いに等しい状態です。 沿岸は悲惨な状況ですが・・・。

電力不足はこちら東北よりも関東の方が深刻な状況のようですね、これから夏にかけてより電力が必要になる季節ですので尚一層、皆さんの団結力と節電への意識が必要になってくると思います。

お互い、頑張りましょう!
やまめ
2011/04/27 10:02

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